まえがき
私たちIESE日本人在校生は、魅力的な生き方を体現されている方にインタビューを行うことで自らのキャリアを見つめ直す機会とし、また日本の皆さまにも考えるきっかけを提供したいと考えています。
今回は、国見高校で史上初の三冠を達成し、セレッソ大阪やマジョルカ(スペイン)、ヴィッセル神戸、ヴォルフスブルク(ドイツ)、川崎フロンターレなどで活躍、J1通算最多得点記録(191点)を保持する伝説的ストライカー、大久保嘉人さんにインタビューをしました。21年に及ぶ現役生活を終え、現在は家族と共にスペイン・バルセロナへと移住。言葉も文化も異なる地で監督ライセンス取得に挑む経緯や、長く第一線で戦い続けるためのマインドセット、そして新プロジェクトを通じて次世代のストライカーへ繋ぎたい想いなどを伺いました。
21年の現役生活
ーJ1最多得点という偉大な記録を持ちながら、21年も現役を続けられた秘訣は何だったのでしょうか?
一言で言えば、「最後まで上手くなりたい」という欲が消えなかったことですね。周囲から見れば「もう十分だろう」と思われる状況でも、自分の中では満足していなかったんです。
面白いことに、僕には4年周期でリズムがあるんです。ワールドカップみたいに(笑)。チームに長くいると、どうしても「王様」になってしまう。僕の発言にみんなが「はい」と従い、監督も気を遣い始める。そうなると成長が止まるんです。それが嫌で、あえて厳しい環境へ移籍を繰り返してきました。新しいチームでは、監督・コーチやチームメイト、サッカーのスタイルも異なるので、「ここでは前と違って上手くいかない」という壁にぶつかり、自分に何が足りないかを見つけ、改善し成長をする。その繰り返しが、僕が長く現役を続けられた秘訣だと思います。
ー数字(得点数)へのこだわりはなかったのでしょうか?
「数字・結果」よりも、その過程での「成長」へ向き合っていたかもしれません。実は、キャリアの終盤にJ1での得点記録が200点まであと少しと言われるのが本当に嫌でした(笑)。結局は191点だったのですが、それが自分のベストだし、歴代最高得点だし、「それでいいじゃん」と思ってました。他の人に言われたことを目指すのは性に合わないです(笑)。
ーまさにサッカーのエリート街道を歩んできた印象がありますが、最大の挫折は何でしたか?
中学時代ですね。国見中学に入った時、身長は132cmしかなく、周りのスピードやテクニックに全く歯が立ちませんでした。中2の時は試合に出られず、あまりの辛さに「わざと骨折して実家に帰ろう」とダンベルを足に落としたこともあります。で、無事(?)足の指を粉砕骨折して実家に帰ることができたのですが、親から怒られてすぐに国見中学に送り返されました(笑)。
でも、そこで腐らなかった。毎日、朝練前の朝5時から個人練習を続けました。その後、高校1〜2年も赤点などで練習できない時期がありましたが、やることは変えずに準備だけは続けていたんです。
ーその「準備」が報われた瞬間はあったのでしょうか?
高2の時、世代別の代表にも選ばれていた選手が不祥事でいなくなり、突然チャンスが回ってきたんです。普段プレーしてるポジションではなかったのですが、監督からは「やれるか?」と聞かれ、やり方も分からないのに「やれます」と嘘をつきました。でも、その試合で自分のスタイルを貫いて4点取ったんです。そこから2ヶ月後にはセレッソ大阪からオファーが来ました。若い選手は少しのきっかけで化ける可能性を秘めているということを体験できた瞬間でした。この原体験が後でお話する、バルセロナで立ち上げたFC Sol Nacienteのストライカー育成プロジェクトにも繋がっています。

大久保嘉人さん(右)とプロジェクトを共に進める堀口創平さん(左)
ー長くキャリアを続けられチーム内でベテランになる中で、心境の変化やチームに対する見方に変化はありましたでしょうか?
めちゃくちゃありましたね。若い頃は周りに先輩たちがいて、可愛がってもらったおかげですんなりチームに溶け込めていたんです。でも、年齢を重ねると立場が逆転しますよね。特に僕は「怖い」というイメージが定着していて(笑)、審判にも食ってかかるし、若手からすれば話しかけづらい存在だったと思います。
だから、ベテランになってからは「自分から話しかけに行くこと」を意識していました。自分から心を開かないと、若手が緊張してミスを恐れるようになってしまう。練習後に食事に誘ったりして、彼らがのびのびプレーできる空気を作るのがベテランの仕事だと考えるようになりました。
ー現役後半、プレースタイルや性格が「丸くなった」と言われることもありました
それはおそらく、子供の影響ですね(笑)。僕が退場した次の日に子供が学校に行くと、友達から「お父さん、また退場したね」なんて言われてしまう。家でそれを聞かされた時は、さすがに「ちょっと丸くならないとな」と思いました。ただ、結局、引退まで年に1回はしっかり退場していました(笑)。
ー海外(マジョルカ、ヴォルフスブルク)でのプレー経験を振り返って、今だからこそ「もっとこうしておけば良かった」と感じることはありますか?
一番の反省は、言葉ができなくても、もっと自分から輪に飛び込めば良かった、ということです。当時は言葉に自信がなかったし、日本にいる時と同じように自分から積極的に話しかけるタイプではありませんでした。でも、海外では自分から行かない限り、ずっと孤立したままなんです。
結局、チームメイトの輪に入れていないと、試合でパスが回ってこないんですよ。海外、特にスペインなどは個人主義に見えて、実はすごく人間関係が大事。仲良くなれば「こいつに点を持たせてやろう」とパスが出てくる。実力以前に、その土俵に立つためのコミュニケーションを怠ってしまったのは失敗だったなと思います。
ーその経験は、今スペインで生活するお子さんたちにも伝えているのでしょうか?
めちゃくちゃ言っています。「恥ずかしがらず、間違えてもいいからどんどん行け」と。言葉ができなくても、自分から入っていけば仲間として認めてもらえる。オフ・ザ・ピッチ(ピッチ外)で仲良くなっていれば、練習に行くのも楽しくなるし、精神的にすごく楽な状態でサッカーに集中できるんです。今の僕は、週5で語学学校に通っていますが、これは言語の大切さを痛感したためです。
ー選手時代にプレーされていたドイツとスペイン。日本と比較してどう違いを感じますか?
ドイツ人は日本人と似ていて、すごく真面目ですね。物事がきっちり進むし、組織としての規律がある。日本人が馴染みやすいのはドイツの方かもしれません。一方でスペインは、良くも悪くも楽観的で、その場のノリや人間関係がすべて。でも、その「今を楽しむ」メンタリティが、時には日本人に欠けている爆発力を生むのかもしれませんね。
