Class of 2013の奥谷直樹です。『震災復興支援チャリティ・バルセロナSmileプロジェクト』について書かせて頂きます。
当プロジェクトは、東日本大震災で被災した児童18名を2012年8月にバルセロナに招待し、「強く逞しく夢を持って生きるための一生心に残る経験」を提供すべく、IESE関係者・NPOプロジェクト結・同行撮影チーム・FCバルセロナ・協賛&後援企業様/個人様のご協力により実現されました。詳細は、こちらをご参照頂ければと思いますが、サッカー少年たちはFCバルセロナの選手との入場行進・試合観戦、現地少年チームとの交流試合などのプライスレスなチャレンジを通して、最高のスマイルと感謝を世界に発信してくれました。
最終日、バルセロナの空港で私が最後のスピーチをした際、想いが込み上げて涙が出てしまったのですが、聞いていた子供たちの何人もが同じように涙を流していた姿が強く心に残っています。自分が小学生のとき、痛い・悲しい・ツラい以外の感情で泣いたことなんてあったかなぁ…。
そんな1週間のバルセロナ滞在と8ヶ月に渡る準備を振り返り、大きく3つの学びについて、私の想いを書きたいと思います。
①『志 >>> 能力』
このようなプロジェクトでは、役職や報酬によってルール・動機付けが明確な会社の仕事とは違い、人を“縛る”ものがありません。IESE・プロジェクト結メンバーともに多忙を極める中で準備を行い、他のご協力者含め、目に見えない心のつながりだけで労力や資金・ネットワークを捧げ続けることが求められました。
結果的に完遂できたポイントは、「“想い”と“コミットメント”を軸に、人々が集ったこと」だと思います。IESE伊地知さんと私が共同リーダーとして進めて来ましたが、私たちは強烈なリーダーであったわけではありません。ただ、二人で当初からブレなかったのは、むやみに人を巻き込まず、同じ想いを持てる人・そしてコミットできる人たちの手作りで行おう、ということでした。どうしても最初は“スキル”ベースでの構成を考えがちです。誰が営業ができ、語学が得意で…、そういった視点も重要ですが、あくまで二の次です。
結果的に何度か踏ん張る局面があったのですが、個々人が自らの判断で “大人な”対応をし、未然に問題を防ぐことができました。全員で同じような想いを持てていたからこその成果だと思います。もちろん自分の反省点は多々あるのですが、本当に素晴らしい人々の温かい手により、子供たちを支援することができました。
②『言葉の壁をハートで越える』
もう1つ、キーとなったのはスペイン語です。スペインの観光名所以外では、多くの人が英語を話せません。今も私のスペイン語は流暢とは程遠いですが、プロジェクト開始当初は散々なものでした。もちろん通訳を入れることも可能でした。ただ、自分たち自身で直接五感を通して想いを伝えることに拘ったからこそ、毎年何百ものオファーが集まる世界No.1クラブを口説けたのだと思います。
FCバルセロナとは二度の重要な交渉があり、ほぼ英語が通じない場となりました。一度目は急遽スペイン語でのMTGとなり、脇に汗をたらしつつ、死に物狂いで踏ん張ります。「…よし、やりましょう!」。その言葉を頂いた瞬間、ガッツポーズを噛み締めつつ、心の中で雄叫びを上げました。二度目のMTGでは緻密さが求められ、今度はIESE関籐さんの活躍で突破!まだ序盤戦とはいえ、その後のビールの味は格別でした。IESE眞鍋さんも、交通会社や飲食店のおじさん相手に、キャラを生かした話術で骨の折れる交渉をまとめる活躍でした。皆、なんとか相手の言語で自分たちの想いを伝えようとした結果です。
今でも、『スペイン語で出来たことは英語で出来ないわけがない』という言葉が拠りどころになっています。留学前は英語でも恐怖心を持っていましたが、語学より深い課題はメンタルを変えることです。私たちの場合はスペイン語での挑戦がきっかけとなりましたが、そういったきっかけはすぐ近くに転がっているはずです。
③『本当に、「イイこと」なのか?』
この3つ目が私にとって最大の学びとなりました。
当初、メッシなどのスター選手との交流をクラブ側と予定していました。「幼少期の病を乗り越えて世界一になったメッシ」に直接会うことこそ、子供たちの人生に最大のインパクトを与えると思ったからです。この内容を押し出して色々な人を巻き込んだこともあって、絶対に実現しなければならないことでした。
しかし残酷にも、直前に急遽中止が伝えられました。クラブ側の監督交代と異常な過密日程に伴うポリシー変更のためです(FCバルセロナ関係者はありとあらゆる努力をしてくださり、変えられない決定でした。最終日にメッシのサイン入りシャツを子供たちに届けられたことが唯一の救いでした。)旅程後半は引率の傍ら、選手と会わせるための方法を必死に模索する日々でした。期待に目を輝かせていた子供たちへの申し訳のなさ、そして自分自身の不甲斐なさが悔しく、盲目的になっていたと思います。
そんな中、毎日夜中に行われた引率者MTGでのこと。プロジェクト結の皆さん、そしてチームコーチの蜂谷さんが私たちに投げかけてくれたのは、こういった内容でした。
「支援活動をする時に考えなくてはいけないことは、支援される側の人々はタダで何かをしてもらう立場だから、不満を言いたくても言えないということ。今、自分たちは本当に子供たちのことを考えられているか?子供たちは元気な姿を見せている。でも、実際はギリギリの状態。馴れない環境化のストレスで、体温が少し上がってきた子もいるし、気持ちが不安定になり始めた子もいる。そんな中選手に合わせるために無理をさせることは、自分たちの“押し付け”ではないか?」
「(旅程中頃で)スペイン人の子供たちと交流した際に、言葉が通じないにもかかわらず、子供たちは何時間も大爆笑しあうほどコミュニケーションを取れた。そうやって最高のスマイルを見せてくれた。これこそが一番の目的達成ではないのか。」
…そして、夜中に議論を延々と交わしました。
最終日前日に、サグラダファミリア主任彫刻家の外尾悦郎さんからも彫刻を題材に、「人が正しいと信じていること、時にそれは悪であったりする。今一度自分のやろうとしていることの善悪を、立ち止まって考えなければならない」というお言葉を頂いた。まさに自分たちに問いかけるメッセージでした。
選手に会うことこそが子供たちのためになる!自分たちは、“イイこと”をしようとしているはず!と信じていました。でも、それが“押し付け”だったとしたら…。冷静に考えてみると、もしかしたらこのプロジェクトそのものも自分たちの善意の押し付けだったのかも知れない…。
プロジェクトが終わってからもずっと悩みました。今思うと、何ヶ月も必死にこの構想を準備してきた私たちにこういった投げかけをするのは決して簡単なことではなかったと思います。プロジェクト結、コーチの蜂谷さん、そして子供たちに、「人のためになるとはどういうことか」真剣に考えるきっかけを与えてもらい、心から感謝しています。
実際、今でも同じような思いをめぐらせます。ただ、日本・東北の未来を背負う子供たちにあの年齢で日本の外の世界を見せられたこと、言葉や文化の壁を越えるチャレンジの機会を与えられたことだけは紛れもない事実です。それだけでも、このプロジェクトは間違いなく意義があるものだったと信じています。
10年、20年後、彼らはサッカー選手か、政治家か、サラリーマンか…どんな大人になっているか分かりません。どんな形でもいいので、“世界規模の視点”を持って、日本・東北を思えるような大人になってくれて、その原点がこのプロジェクトだったと思ってもらえるのであれば、このプロジェクトは“押し付け”ではなく、本当に“イイこと”だったのでしょう。残り数ヶ月で私たちはIESE卒業となりますが、その後も彼らの成長を見守って行きたいと思います。