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なりたい自分になれているか?-MBAとファミリービジネス マンダム 西村 社長 インタビュー

私たちIESE日本人在校生は、自分たちのキャリアだけでなく、将来のビジネスリーダーとして日本の未来のために何ができるか考えていきたい、また日本の皆さまにも考えるきっかけを作りたいと考えています。

今回は、IESEアラムナイであり、創業家出身として2021年、39歳で株式会社 マンダム 代表取締役社長執行役員に就任し同社の経営を担われている西村 健さんにファミリービジネス、経営者の在り方といったテーマでお話を伺いました。

西村 健さん
2008年にマンダムに入社。同社シンガポール法人、IESE Business Schoolへの留学を経て、2017年より同社執行役員、2021年より同社代表取締役社長執行役員を務める。

MBAについて

Q. どういった理由でIESEへ留学なさったのでしょうか?

 電通を経て家業であるマンダムに入社後、国内のマーケティングやシンガポール赴任を経験したのですが、その後のキャリアとしてどう研鑽を積むか考える中で、ひとつの選択肢としてMBAがありました。これまでのキャリアはマーケティング周りが中心だったのでこれから経営者として必要になる財務・戦略・オペレーションなどの知識を得たかったのと、MBAは昔から行きたいと思っていましたが、当時もう30代に入っていたので行くなら今しかない!と思って留学を決めました。

 学校選びに関してはまず、シンガポールに赴任していた頃、「マンダムは日本中心の日本企業が海外で伸びた会社」という感覚、つまり「商品は国際化しているが、人やシステムも含めてやはり日本企業」と感じていて、この先を考えるといろいろな人が各国で活躍できる会社にしていきたい、それを学ぶなら欧米のビジネススクールだろうと考えました。

 IESEを選んだのは、せっかく行くなら国際ランキングが高い学校だということ。私は初級管理職くらいまでは経験を積んでいたので、きっちりディスカッションできるマチュアな環境がいいと思ったのと、自社との相性を考えるに、主にファッションや消費財でブランディングをしっかりやっている企業が多いヨーロッパに興味を持ったからです。最終的に英国のスクールとIESEで迷ったのですが、「英国は仕事で行くことはあるだろうけど、バルセロナに住むのはなかなかないだろう」と思ったのが決め手でした。

Q.実際にIESEに入ってみて、どのような感想を抱かれましたか?

 私はいわゆる純ドメ、シンガポール赴任中に仕事のために必死に英語を覚えたタイプだったので、ディスカッションベースの授業はやはりしんどかったです。それだけでなく、実際ケースをやると、日本人は割と実務的な視点で現場での経験などを踏まえた考え方をしますが、他の国の学生はロジックでまとめようとする傾向がありました。私はアジアでマネジメントの経験を積んできた中で「正しいことを正しく通す」ということが一番難しいと思っていました。MBAレベルの高度な環境ではロジックで通せるかもしれませんが、現場ではいろいろな人が居て、いろいろな考えがある中で理詰めで通すのは難しいです。理詰め傾向は特にアメリカ人とかインド人の同級生に顕著で、よくコンフリクトになりました。私が現実を見た妥協案や、ベストでないけどベターな選択肢を提案すると、「お前はわかっていない」と激論になったのを覚えています。

Q. IESEにはファミリービジネス関連の学生クラブ・授業などありますが、ご参加なさいましたか。(ご参加していた場合)現在につながっているものはありますか?

 今はファミリービジネスの授業なんてあるんですね(笑)。

 当時そういう授業はなかったのですが、メンターである教授の紹介で、IESEの中でファミリービジネスに明るいリヒテンシュタイン教授と知り合いました。教授は身長2mくらいある人で、私も185cmあって背が高い方だったのですが、初対面の時に彼の背が高いことに驚いたら、「何を驚いてるんだ。お前が小さいんだ」と言い合いになったのをきっかけに仲良くなったのを覚えています。当時、ミュンヘンのキャンパス(※IESEのExecutive MBAのキャンパス)で、ファミリービジネスカンファレンスがあって、BMWとか、スワロフスキーとか、アメリカの穀物メジャーのカーギルの創業家も参加するような豪華なイベントだったのですが、私は教授のアシスタントとして参加したはずがなぜか参加者側に立つことになって、たくさん話を振られて焦ったのを覚えています。

 今も毎年案内状は来るものの、なかなか行けていないのですが、その時に感じたのは、日本の創業家は企業の所有者というより、経営のオペレーションと一体化していることが多いのではないかということです。所有という面では、皆さんがオーナーとイメージするレベルで株を所有していない創業家も多いです。経営者としては、会社の成長を目指すことはもちろん、創業精神や企業文化を継承し会社を1つにまとめたり、創業家ならではの中長期視点での変革を行っていくことも重要な役割だと考えます。一方で、欧米の創業家の関心毎は、エスタブリッシュメントとしていかに世の中に貢献するか、誰が自分たちの資産をまとめるか、一族のレガシーをどう扱うかという議論で、聞く分には面白いですが、自分はそういう立ち位置ではないなと思いました。

Q. その他、IESEで特に役立ったこと、記憶に残っていることはございますでしょうか?

 もともと忙しい環境には慣れていましたが、今の社長業の課題として、日本・インドネシア・その他海外と3つ事業セグメントがある中で、自分がいくつも責任者を兼務していて、ものすごい量の仕事があります。あれもこれもやらないといけない中で、何が大きい課題かを整理していく経験はIESEでの経験が生きています。

 あとは、よくある話ですが異文化マネジメントの経験ですね。国籍だけでなく、ものの考え方も異なる中できれいに話がまとまらない時、感情的なものも含めてコミュニケーションに骨を折る経験というのは、特にIESEで身についたものです。文化や考え方が違ったとしても、同じ会社である以上同じコンテクストで議論できますよね。一方、IESEでは国籍もバックグラウンドも異なる同級生とのフラットな関係性なので、そこで議論することで耐性がついたと言えます。

Q. 逆に、ケース等で学んだ座学は率直にどれくらい役に立っているのでしょうか?

正直なところ、個別具体のケースはそんなに役に立っていなく、例えばファイナンス関連M&A周りの知識は役に立ってると言えますが、それよりも教室の中でああでもない、こうでもないと議論を繰り返していった経験の方が役に立っていますね。

Q.IESEを選んだ理由として欧米のエッセンスを理解したいとおっしゃっていましたが、実際に欧州に住んでみて気づいた欧州のカルチャーや、インサイトというものはありますか?

 ヨーロッパの主要都市の店舗を訪れると、高級ブランドは並んでいても、FMCG的な廉価帯のアジアブランドは定着している様子はありませんでした。ファッションだけでなく、化粧品も欧州ブランドへのこだわりがあって、例えば新興の韓国ブランドが進出してきても、3か月くらいで棚から消えているケースも頻繁に目にしました。このような状況を踏まえると、ヨーロッパにおいて、日本の商品をデパートなどの伝統的な小売業で展開するのは容易ではないと感じました。

 別の話ですが、私が留学したのはESGという言葉が注目を集め始めた頃、各企業がESGを推進する姿勢をアピールしていました。表向きにはESGを推進している相手が、私的な場で「だってそう言わないといけない世の中じゃないか」と本音を漏らすようなヨーロッパ流の本音と建前のギャップを垣間見た経験もあります。

事業について

Q. アジア、インドネシアでの売上が海外の売上の半分を占めていますが、インドネシアでの拡販がうまくいった理由はどのように見ていますか?そのプレイブックを他国(特に東南アジア)で活用していくうえでのハードルはどういうところに感じられますか?

インドネシア市場においては、マンダムは味の素の次に進出している老舗です。マンダムの海外事業は華僑ビジネスマンが海外出張時、当社の「丹頂チック」という商品をお土産としたところ海外で大人気となったことをきっかけとしています。日本からの輸出量が増大しましたが、関税(150~200%)が高く現地では生活者が購入できないほどの高級品になってしまった為、多くの生活者に商品をお届けできるよう現地生産を検討し、1958年日本の化粧品業界では初、フィリピンのマニラで技術提携によって海外に進出いたしました。のちに、海外拠点の中心となるインドネシアには1969年から展開しています。

 成功要因として一番大きいのは、インドネシアにある17,000もの島々のすべてカバーする流通網を持つ、華僑のパートナーの存在です。もう一つは現地のお客さまのために、現地マーケティング、現地生産をしたことです。良く引き合いに出される商品のサイジングで、同じヘアジェルでも、7〜8種類もサイズがあります。一番小さいのはサチェットといわれる小袋のサイズで、東南アジアの小売店に行くと、小袋(サチェット)が店頭に鈴なりにぶら下がっています。今でこそ発展してきていますが、その昔、経済的にあまり豊かではない時代、若い人が小袋のサイズを買い、デートの前にスタイルを整えるのに大事に使ってくれる、そういうニーズに順応していました。インドネシアでの浸透度合いは圧倒的で、日本の会社ではなく、インドネシアの会社と思われているくらい認知度も高く、日本と全く異なる商品展開をしています。他の国も、シンガポール、マレーシアですと売り上げ全体はインドネシアに及びませんが、人口一人当たりの販売数では日本を超える程度まで成長しています。理由はやはり現地化で、どこかの国でまとめて生産し、そのエリアの国に一様にばらまくような画一的な戦略でなく、各国の文化や消費者の嗜好に合わせある程度の粒度でプロダクトとマーケティングを創りこめたこと、各国の流通をおさえたころがアジアでの成功の秘訣かと思います。

後半では、100年企業・上場企業であるマンダム社を39歳で承継されたリーダーシップについて伺いました。(↓)

1MBAと事業について 2リーダーシップについて

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