私たちIESE日本人在校生は、自分たちのキャリアだけでなく、将来のビジネスリーダーとして日本の未来のために何ができるか考えていきたい、また日本の皆さまにも考えるきっかけを作りたいと考えています。
今回は、IESEと共同でコマツのミドルマネジメント・代理店トップ向けのエグゼクティブ教育プログラムを企画・運営するためにバルセロナにいらっしゃったご縁で、大手建機メーカー コマツで常務執行役員 建機ソリューション本部長を努める藤原 恵子さんに「B2B・グローバルマーケティング」、「女性リーダーのあり方」というテーマでお話を伺いました。
キャリアについて
Q. 簡単にこれまでのキャリアについてお伺いしてもよろしいでしょうか。
1988年コマツに入社して以来、これまでずっとマーケティングのキャリアを歩んできました。入社3年目からは海外マーケティングを担当し、最初は太平洋州が所管で、そのうち3年はオーストラリアの代理店に駐在しました。その後欧州担当となり、ベルギー駐在を経て日本に戻って米州担当、欧米事業部長の後、欧州コマツの社長をやりました。帰国後は執行役員として、代理店教育・デジタルトランスフォーメーションの責任者をして、現在は建機ソリューション本部長です。
Q’. もともと製造業を志されたのはどういう理由でしょうか?
大学時代は語学専攻で、語学力を生かして海外進出したメーカー、特に長く使えるものを作っている会社で働きたいと思っていました。当時、ちょうど1985年のプラザ合意で一気に為替が円高に振れたこともあって、輸出部門で人を採用しているメーカーがほとんどなかった中、コマツにご縁がありました。
Q. B2Bマーケティングの重要性は、今でこそ広く認知されているように思われますが、特に藤原さまがBM活動に着手した頃は、「そもそも必要があるのか?」のような懐疑論にはじまり、あまり研究が進んでいなかったように思われます。コマツではB2Bマーケティングは発展・浸透なさっていったのでしょうか?
おっしゃる通り、当時もあまりB2Bマーケティングの理論って世の中になく、せいぜい3C(自社・競合・顧客)分析をしてみるけど、4P(製品・価格・流通・プロモーション)とか言われても、広告を打ったところで売り上げが伸びるわけでもないし…といった世界でした。
しかし、潮目が変わってB2Bでもマーケティングが必要だな、と思ったのは2007年くらいで、中国メーカーがすごく伸びてきたころでした。その前の90年代は韓国メーカーが伸びた時期でしたが、プレイヤーが少ない市場でしたし、主要メーカーと新興メーカーの技術レベルの差も激しくて、当時の韓国がメーカー安売り攻勢を仕掛けてきても、メンテナンスなど含めたトータルコストで見ると勝てていました。一方、中国メーカーがやってきた2000年代後半は技術レベルも上がっていて、価格も安く、ハイエンドなモデルは部品も日本製を使っていたり、相当いい品質でした。製品だけでは価格競争になるのでマーケティングが必要となったのですが、一般的なマーケティング理論だと当てはまりませんでした。お客様は一社一社言うことが違いますし、私たちは建機のプロで、お客様は工事のプロです。コマツにいるのはメカニカルエンジニア・電気エンジニアなのに対して、お客様はマイニング、シビルエンジニアリングの専門家です。本業も違いますし、畑違いの専門家同士が話をすることになります。消費者をマスでとらえられず、B2Cであれば自分や家族とかの感覚も当てはまりますが、B2Bでは難しいですよね。
なので、私たちの状況にフィットする新しいマーケティング理論がいるな、というのが背景でした。営業チームもいわゆる提案営業にトライしていましたが、体系的に学べていませんでした。製造現場においては、TQM(全社的品質管理)等開発・生産に関わる理論は叩き込まれていましたが、そこにお客様の声を取り込んでいくというのは難しい取り組みでした。
Q.コマツと言えば、IoT(Internet of Things, 様々なモノがインターネットに接続され、新しい価値を生むという技術・考え方)の先進事例としてKomtrax(コマツが開発した機械情報を遠隔で確認するためのシステム。機械の稼働情報や警告情報を収集し、お客様の稼働管理やメンテナンス管理をサポートする。https://kcsj.komatsu/service_support/komtrax)が有名かと思います。B2Bマーケティングという文脈の中でKomtraxはどのように生まれ・発展していったのでしょうか?
Komtraxも、もとはと言えば品質向上のために、代理店を通すと見えない現地の情報をライブ感をもってわかるためにデータを取りましょう、 取ったデータを体系的にまとめましょう、というのが本格展開のスタートでした。技術の人がどうしてその建機は壊れたのか?どういう使い方をしたのか?を知るために車両からデータを取って分析したかったのです。それだけでなく、油圧ショベルって、掘るだけでなく色々な作業するので、どの作業で一番燃費がいいか、燃費競争力のために最適なチューニングを知るためにデータを集めようとしました。
そのために、たくさんセンサー付けて売るとコストかかるので、オプションとして買ってもらう形にするか?を議論したのですが、当時の社長の決断として、「メーカーがやりたいから始めたんだから標準でつけよう、その後それを使ったソリューションを考えてみよう」と標準搭載にすることにしたことで、Komtraxは広がっていきました。
Komtraxでどういうソリューションを作るかについては、本社・現地法人のマーケティングからの声が取り入れられていきました。例えば、「寒い地域だと稼働させないでエンジンをかけっぱなしにして機体を温めることがあるのでそのアイドル時間を出したい」とか、「燃費良く運転したオペレーターを表彰するコンテストをする」、「燃料盗難防止のため燃料の出入りの動きがわかるようにする」といったデータを使ってお客様と話しながらアイデアを出していきました。
Q.そうしたソリューションを考えるためには、データのとり方が大事なのかなと思います。Komtraxにおいては、建機→コマツのシステムへのデータの流れを作ったと思いますが、その時代理店はどのような役回りを担うと想定なさっていたのでしょうか?
まず前提として、大きなマーケットのある地域では基本的に代理店を通した販売をします。
お客様である建設会社というのはその地域で商売する、コミュニティに根ざしたビジネスです。なので、必ずしもお客様は英語を話せるわけでもないですし、工事は長時間、夜中まで続くこともあってその間機械は止められないので、壊れたらすぐに直しに行かないといけません。そのため自前でそうしたお客様に対応するというのは現実的でないですし、その地域のコミュニティとの連携といった社会的なつながりが大切になります。代理店はビジネスパートナーであり、いったん建機を買い上げてもらうという意味でお客様でもあり、代理店網があることが競争力にもなるため、非常に重要なステークホルダーです、
例外として、鉱山・資源メジャー(資源の採掘や精製、製品化などの権益を持つ巨大企業)のような規模のお客様は、メーカーと直接交渉することを望まれることがあります。そうした場合は、鉱山・資源メジャーと取引する代理店にコマツの資本を入れて、直接販売に近い形にします。
Q. コマツはブランドマネジメントについて高い水準をキープできているように感じますが、どう現場レベルでブランドへの帰属意識を高めておられていますか?
ブランド帰属意識の前提ははるか昔、コマツがQC(品質管理)活動を始めた時代にさかのぼります。1960年代に日本市場にキャタピラー(米国の大手建機メーカー)が入ってきた時、自動車と違って建機は関税も撤廃されてしまったのでコマツは生き残れないかもしれないと言われたのに対し、QCをいれて品質改善で迎え撃ちました。
ところが、70年代になって米国市場に本格進出をすると、自信のあった品質がアメリカで故障頻発、といったことが起きました。なぜかというと、アメリカでは全然違う使われ方をしていたんです。この対応の中で「固有の信頼性」(メーカーが作りこんだ信頼性)に加えて、「使用の信頼性」(ユーザーが使用する時の信頼性)、すなわち、現場で使われ方、代理店も含めた信頼性という考え方がコマツの中で浸透してきたと聞いています。
それに気づいた後は、コマツは徹底的にマーケットを調べて現場に行って、その市場で使えるものにしようとしました。この営みはQCの一貫ではあったのですが、結果として「トータル(代理店、etc)で品質を見ましょう」というDNAを獲得したと思います。
後半では、どのようにグローバル事業をコントロールされてきたか、また女性リーダーとしてのリーダーシップについて伺いました。(↓)